Faraway, So Close! ファラウェイ、ソー、クローズ

 劇場の中でパニックを起こすほどの衝撃と共に映画が誕生してからほぼ120年の時が経つ。
技術の進歩と共に電子化され、放送、出版、通信等の社会的インフラとも柔軟に結びつきマルチな変容を遂げた映像は、その産声をあげた劇場空間から解き放たれ、今や個々の人々の手のひらに収まるまでに至った。無論アートシーンにおいてもその存在感を増し、現代を描き出す主要な構成要素として浸透している。常に私達に寄り添い絶え間なく人々の視覚的欲求を満たし続ける一方で、その裾野を見渡せない程に氾濫する映像にも目を背けることは出来ない。
  バーチャルとリアルが共存するハイブリットな生活空間において、私達がこの広大な規模の映像環境と対峙する時、"映像とは一体何か?"という疑問を改めて持つことは出来ないだろうか?

 本上映では、メディアとしての映像に対して明確な距離感を見出し表現する映像作家達をフィーチャーする。その歴史観、地域性、現在進行形のアクションを通じて、名状ならざる映像又は、その状況を能動的に捉える切っ掛けを掴めるかもしれない。

Aプログラム

 

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「フリーラディカルズ - 実験映画の歴史

2010年/カラー/サウンド/82分


「愛する数々の映画を共有し、それを作ったフリーでラディカルなアーティスト達を紹介したかった。」(ピップ・チョードルフ監督)
  アヴァンギャルド映画界伝説の巨匠(ハンス・リヒター、ジョナス・メカス、ピーター・クベルカ、スタン・ブラッケージ等)達が続々と登場する。アートと映画が最も接近したとも言える60,70年代のアメリカ、その時代を映画表現で牽引したアーティト達の生の声と代表作が共に綴られる。同時に、60年代ニューヨークに生まれ、幼い頃からその映画とアートに強い影響を受けながら、ラディカルにアーティストへと成長してゆく、監督ピップ・チョードルフのプライベートな記録映画としての側面も有する。現代の日本アートシーンへの影響も大きいアメリカンアートヒストリーを映画の視点からフィードバックする上で貴重なドキュメンタリー作品である。当事者達に語られる史実の中に、今私達が見落としている何かが見えてくるのかもしれない。


Pip Chodorv (ピップ・チョードルフ)

1965年NY生まれ、1972より映画制作、作曲をはじめる。ロンチェスター大学で認知科学、パリ大学で映画記号額を学ぶ。1994年実験映画ビデオ配給会社Re : Voirを設立。実験映画専門ギャラリー運営も行う。2003年にアンソロジー・フィルム・アーカイブス賞を受賞。


Bプログラム
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「伊藤隆介、倉重哲二、大島慶太郎、近作選」

 北海道を拠点とする3人の映像作家による近作を集めたプログラム。 3者に共通するのは、扱う映像媒体に対してある種解剖学の様なアプローチでメディアに内在する諸問題を映画化していくユーニークな表現手法をとること。伊藤は一貫して様々な規格の映画フィルムを物理的に切り貼りしながらモンタージュし、映画話法の造形的な展開をスクリーンに出現させる。倉重の新作「DIGITAL-CINECALLIGRAPHY」では、もっともプリミティブなアニメーション手法を最新のテクノロジーを用いて描き起こすと同時に、媒材(フィルム)を個人生産することによって、これ迄の自主制作映画を工業製品の製造段階にまで飛躍させた。これまでアナログフィルムでの作品展開を続けてきた大島は、「A FOUND BEACH -omnibus-」において、古い絵葉書を用いた「記憶の価値」の考察をテーマにデジタルパッケージの処女作となる新展開を見せる。
  3者のメデイアに対する分析的な試みは、上映形式という映画フォーマットの立場をとりながらも、その指向性は、それぞれがアヴァンギャルドなメディアアートでもある。制作プロセスについても特徴的な作品群である為、是非トークも合わせてご覧頂きたい。

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「版#43~44(二枚舌)」
伊藤隆介 2009年/カラー/サウンド/16ミリ/5分

 彫刻家・映画作家のブルース・コナーと、画家・ロバート・ラウシェンバーグ、植木屋・バカボンのパパという世界3大コラージュ作家へのオマージュ作品となる。ファウンドフッテージを使用した構成だが、コナーの「BREAKAWAY 」(1966)の時間の往復構造、「MARILYN TIMES FIVE」(1968–1973)のイメージの認識や記憶の不確実性を加えた作品。
  タイトルは、「(大体は同じ)真実」をいくつかの視点から物語ることから生じる「嘘(の持つリアリティ)」という意味。


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「当映画館にて上映されます」
伊藤隆介 2010年/カラー/サウンド/16ミリ/5分

 2001年から作り続けている短篇映画「版(Plate)」シリーズの延長上に位置する作品。旅先で手に入れた外国映画の予告編のフィルムをインスピレーション源に、転写やコラージュ、自家現像、着色などの処理を加えた。ありふれた、そして忘れられた産業映画を、個人的な視覚体験へと再生する詩的な試み。
  本作の上映は、チェコ旅行に誘ってくださった、アニメーション作家の相原信洋さん(1944〜2011)へのトリビュートの思いもある。


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「Zmluva s diablom (悪魔との契約)」
伊藤隆介 2013年/カラー/サウンド/16ミリ/5分

 8ミリから35ミリまで様々な映画フィルムのコラージュによる映像詩。コダックの倒産、シネコンの完全デジタル化など、いよいよ「メディア」としてのフィルムは臨終が近づいている。興行から見放され、生産とも流通とも無関係といまやフィルムは大理石や檜と同じく、純粋な「モノ」となりつつある。木材の年輪と同じように、記録や記憶がテクスチャーとして詰まっている「実在」としてのフィルムと、造形的な対話を行う試み。


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「DIGITAL-CINECALLIGRAPHY」
倉重哲二 2013年/カラー/16ミリ/4分

 2000年代に提唱された「パーソナルファブリケーション」(工業の個人化)という概念が身近になってきている。一方、映像の世界では、企業的な観点からフィルムメディアの終焉を迎えつつある。
 本作品は、「フィルムメディア」自体をコンシューマ向けのディジタル機器を使って、(製作≒制作)してみようという試みである。
市販のカッティングプロッタを利用して16ミリフィルムを切り出しと、シネカリグラフを行ってみた。


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「スクリプティングゴースト」
倉重哲二 2005年/ビデオ/17分

 拾ってきた机には、幽霊が憑いていた。主人公と幽霊は奇妙な文章によるやりとりをはじめる。しかし幽霊にコミュニケーションの意思はなく、書き写すという(しかも不正確な)行為に没頭していくのであった。16ミリフィルムの作品として制作していた「机上の幽霊」を、デジタル作品として大幅に改編したものです。


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「A FOUND BEACH -omnibus-」
大島慶太郎 2012-2013年/カラー/サウンド/HD/22分

 どこか見知らぬ海岸の記憶、その時そこに居た人の記憶、それを送った人の記憶、それを受け取った人の記憶、それぞれの古い写真絵葉書に閉じ込められた記憶の断片を紡いでいく。視覚情報の共有化やそれらの2次的な創作手段が先の見えない程の広がりを見せる現在の映像を取り巻く状況を視野に入れ、これまで残ってきた記録、今後も増え続け蓄積されていく記録に対し、映画の手法を用いることで、現代における「記憶の価値」について考察する為の実験である。


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「Thinking Dot」
大島慶太郎 2012年/白黒/サウンド/16ミリ/8分

 この作品は、「点」による視覚表現についての考察である。
「点」は、図像を構成する基礎的要素であるが、現実空間において手に触れられる様な物質として存在するわけではない。しかし、「点」その物の存在は、誰しも認識し得る、極めて概念的な存在と言える。私は、様々な趣の「点」を映画フィルムへ定着しモンタージュすることによって、基礎的要素としての「点」を主要素として映画の中に表現した。それはまるで「点」その物が自身の存在について考えているかの様にも見える。


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伊藤隆介、倉重哲二、大島慶太郎よる近作選について
5月30日(金)Aプログラム上映終了後(21:00ころ〜)

 映像メディアに向けた独自の視点により作品展開を続ける映像作家3者による作品解説と共に、今の映像を取り巻く状況についても、それぞれの立場からお話いた頂く。


伊藤隆介

1963年札幌生まれ。「映像の物質性」をテーマに作品を制作している。主な作品に映画「版(Plate)」シリーズ、ビデオ・インスタレーション「Realistic Virtuality」シリーズがある。近年の発表は個展「The Hole」(CAI02)、グループ展「Re:Quest-1970年代以降の日本現代美術」(ソウル大学校美術館)、「第4回恵比寿映像祭:映像のフィジカル」(東京都写真美術館)、「超群島 -ライト・オブ・サイレンス」(青森県立美術館)、「黄金町バザール2012」(横浜市内)など。

倉重哲二

 1972年、福岡県久留米市生まれ。2000年頃より、アニメーション作品を発表。 『阿片譚』、『兎ガ怕イ』、『スクリプティング・ゴースト』、『眺めのいい部屋 境界線あるいは皮膚に関する物語』など。

現在、北海道教育大学岩見沢校にて専任講師を務める。

大島慶太郎

 1977年釧路市生まれ、札幌市在住。動画構造の解体と再構築をテーマに映像作品を中心とした制作及び映像メディア表現について研究を続けている。 また、映像メディアをパーソナルな表現ツールとして捉えた上映会やワークショップなどの活動も展開している。
2012年ケルンメディア芸術大学フェロー(ドイツ)、現在北海道情報大学情報メディア学部専任講師。