かわなかのぶひろ
1941年東京生まれ。少年時代に両親を失った野良犬のぼくにとって、映画館が親代わりだった。
見かけだけの善や悪に懐疑的になったのも、恋 や別離や喧嘩のほどを学んだのもおしなべて映画館だった。
やがていつしか映画を手がけるようになり、あろうことか30年の長きにわたって大学で映画の教鞭を執るようになろうとは思いもしなかった。映画といい人生といい振り返るとじつに愉快なものですね…。
Aプログラム
Bふたたび/1984年/22分
秒間1/24で走行するフィルムの一コマに時間を累積する方法の実験と、悠に100年は生き続けるフィルムの時間に思いを駆せてみた。
映像書簡9 -寺山修司がいた-/2003年/28分
「天井桟敷」で俳優と演出をしていた荻原と、地下劇場で上映をしていたかわなかが描く寺山修司にまつわる「天井桟敷」グラフィティ。
サヨナラ粟津潔/2010年/26分
不世出のグラフィックデザイナー粟津潔が亡くなった。親しかった一柳慧と寒川晶子師弟による超人的ピアノ演奏で綴る粟津レクイエム。
映像書簡10/かわなかのぶひろ+萩原朔美/2005年/38分
二年間放置していた胃癌の手術に踏み切ったかわなかと、高齢の母親との同居を決心した萩原朔美のなんともきわどい往復書簡…。
※札幌の詩人忠海光朔の酒場(仔羊亭)と朗読姿も登場する。
Bプログラム
スイッチバック/1976年/9分
相原信洋から古いニュース映画が届いた。そこには人間宣言をした昭和天皇初の関西巡幸が写っていた。人類の記憶をめぐるフッテージ。
旅の繪4 -ぼくのニューヨークスケッチ-/1985年/36分
日本実験映画全米ツアーのドキュメント「空の繪」からさまざまな出会いを体験したニューヨークでのエピソードをアンソロジーしてみた。
ready-made+1/2007年/10分
携帯で作る映画「ポケットフィルムフェスティバル」への出品作品。中学生が携帯に残した映像を素材に初めて携帯映像に挑戦してみた。
酔中日記/2004/30分
「私」を機軸に「映画」にアプローチし続けてきた「私」の周囲は、
いまや死に彩られるようになってきた。
「私」もやがて仲間たちのいる彼岸へ旅立つのだろう。
Cプログラム
私小説(ロングバーション)/1996年/102分
トーキーの発明によって映画には音と言葉が不可欠となったけれど、サイレントでも音は聞こえるのでは、という考えを作品化した。
特別プログラム
講座:映画はどこからきたか(トークと上映:120分)
驚き盤(古川タク/1975年/5分)
フィルム・ビフォー・フィルム(抜粋)(ヴェルナー・ネケス/1986年)
PLAYBACK(かわなかのぶひろ/1973年/7分)
LE CINEMA(奥山順市 /1975年/5分)
スプロケットホール、エッジレター、汚い粒子などの出てくる映画(ジョージ・ランドー/1965~66/抜粋/2分)
CONEY(フランク・モリス/1975年/5分)
Trik Film(ジョージ・グリフィン/1973年/3分)